八ヶ岳・野辺山100k、5回目の完走!

昨日20日(日)野辺山走ってきました。
土曜の夕方、野辺山入り。夕日に輝く八ヶ岳連峰が出迎えてくれた。

スタート時、気温7℃。例年だと2~3℃が普通なので、非常に良いコンディションでスタートできた。

前半から八ヶ岳連峰を仰ぎ見て走ることができた。5回目の出場にして初めて。素晴らしい景観の中で走ることができて幸せだった。

13時間26分40秒(推定)でゴール。制限時間残り33分20秒を残してのゴールであった。年々完走するが厳しくなってゆく。流石、日本の誇る難関(いや、変態)コース。ほんとしんどいレースです。

今回の完走メダル。これで5個目、新デザイン。

これで全部で5個になりました。10個揃うと「デカフォレスト」の称号が与えられます。最短で58歳での達成。なんとしてもGETしたい。記録はスグに過去のものとなり、年とともに二度と更新できないものとなりますが、積み重てゆくものはいつまでも新鮮。頑張ります!

PS:遅くなりましたが、今年1月に参加した「館山若潮マラソン」。完走記できました!是非ご覧ください。→こちら

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会津紀行 VOL.10

そして最後、この旅のメイン「三春の滝桜」へ。
だいぶ遠回りさせられて、やっとこさ到着。今年は開花が送れていて心配。開花が遅れていても大型バスやマイカーが駐車場をかなり埋め尽くし、流石の人気ぶり。

300円なり。やっぱ、お金払うのね・・・。

入場ゲート。良かった~、とりあえず咲き始めだ!

ゲートからかなり立派な導入路が続く。5~600m歩いたかな~・・・。

おおっ!あれ・・・

あれかあっ!

凄い・・・。

まさに、怪物・・・、いやもとい、桜の神木・・・。

まさに、咲き始め・・・。

日本三大桜1つとして知られ、推定樹齢1000年超、樹高12m、根回り11m、幹周り9.5m、枝張り東西22m・南北18mの巨木。中はすでに空洞化しており、張り出した枝を支えるため、たくさんの当て木が施してある。震災でも大きな損傷はなく、立ち続けている・・・。

こりゃ~、満開時は本当にすごいだろうなあ・・・。
また来なきゃ。滝桜をバックに、報告終わります。

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会津紀行 VOL.9

飯盛山参拝後はちょうど昼時。飯だ、飯~っ・・・。
ということで、今回は大正時代から親しまれてきたという会津伝統の「ソースカツ丼」をいただくことに。市内には実に21店舗に及ぶソースカツ丼のお店がある。そのうちの一軒、「なかじま」さんに到着。

ソースカツ丼マップがあるほどの伝統の丼。
お~、来ました!

会津伝統の「ソースカツ丼」。正式名称は「キャベツ・ソースカツ丼」。揚げたてのロースカツに特性ソースをかけたカツ丼。1000円也。う~ん、美味い!独特の甘さのソースが実に良かった。

で、実はこのお店の売りはコレ!このお店オリジナルの「煮込みソースカツ丼」1000円。
元祖煮込みソースカツ丼と言われている逸品。ソース味に卵をとじこんだカツ丼。

う~む、いかがなもんだろうか、「ソース味で卵とじにした」とは・・・。

とは~っ!いけますね~っ、これっ!
当たり前だが、カツの中まで絶妙なソース味がしみ込んでおり美味しい!ごちそうさまでした!でも、甘い味が嫌いな人には合わんかも。ユキチは名古屋の味噌カツ(特に矢場トンの)が大好きなので会津のソースカツ丼は好きだな~(笑)。

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会津紀行 VOL.8

お城をあとにして、やってきたのはやはりココ。
あの白虎隊の悲劇がおこった飯盛山である。ここは若松城とセットで訪れなければと思っていた。

登る手前のお土産やさんには会津の旗・・・。

飯盛山の白虎隊のお墓や自決の場までは急な階段を登ってゆく。右サイドにはお年寄りも多いので、エスカレーターがついている。ここは確か小学校低学年の頃、親父に連れてこられた。歴史探訪が大好きな親父で、白虎隊のことを良く教えてもらったことは覚えている。でも、どんなところだったか・・・。あまり覚えてない。

山の上には自刃した19名の白虎隊士の墓があり、また同じく自刃した武家女性や討ち死にした婦女子約200名の霊を慰める石碑の「会津藩殉難烈婦碑」がある。その脇を通り、19名が自刃した場所へ向かう。ここがその場所に建つ霊塔。

飯盛山の中腹には松林があり、まさにこの見晴らしのきく場所で16~17歳の少年たちは身を休めた。始めて経験する凄まじい戦闘と、敗走、睡眠不足とで少年たちは疲れ切っていた。そして、この高台から鶴ヶ城を見たのである。城は黒い煙につつまれ、五層の天守閣の白壁には赤い炎が燃えさかっているようにみえた。

火の海となった城下からは、絶え間なく砲声と銃声がとどろいている。少年たちは予想もしなかった光景に息をのんだ。命とたのむ鶴ヶ城ももはや落城している。(と錯覚してしまった)。 しばらくの談合の後、敵の手に掛かることを拒み、最後まで会津の武士らしくあろうとした少年たちは、遥かに鶴ケ城を臨むと姿勢を正し、一礼してから次々に自刃したのである。この城を仰ぎ見る少年の像を見ていると胸が痛い・・・。

実際、少年の像と同じ方角を仰ぎ見てみる。

見えた・・・、鶴ヶ城。
実に感慨深い飯盛山参拝であった。

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会津紀行 VOL.7

今日は、マズは会津若松城へ。

開花したばかり。満開の桜を楽しみにしていたので残念。でも開花しただけまし。

お~、若松城、素晴らしい。地元では鶴ヶ城と呼ばれている。屋根が「赤瓦」にすべて葺き替えられ、昔のままに再現完了。開花したての桜でも、このとおりの風情・・・。

鉄門・・・。
北の要塞を誇り、難攻不落を誇った若松城。江戸城が無血開城ししたため、ハッキリと新政府軍が勝ったとことを見せつけられなかったバカリに、勝を天下に知らしめるため、この城への攻撃は熾烈を極めた。

鉄門をくぐると本丸に出る。昔、本丸御殿があったところは広大な庭園になっている。かなり大きくて立派な御殿であったことが偲ばれる。ここからの若松城もいい。赤瓦がとても似合う・・・。

城郭の土手に登ってみた。深い堀が残っており、会津の街並みの向こうには雪を頂いた山脈が連なっていた。

ここから桜並木越しの若松城も凛々しい。赤瓦が当時の威容を物語っている。やはり素晴らしいお城であった。桜が満開であれば、さぞ美しさが倍増することであろう。

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